またもやの緊急事態宣言中ですので、読書には向いている期間ですね。
アウトドアの方からすると苦痛で仕方ないようですが(GWの予定が全部崩れたーと残念がっていた)、インドアな私からすると特に変化がないのがこのご時世。
そんな私でも月に数度は外食していたのと、昼にたまには店でランチするので黙食しろとかってのが苦痛ですね。 何が苦痛ってお金払って食べているのに会話を禁じられるとかの意味がわからない。 もちろんお店が悪いわけじゃないですよ。
そんなこともあってランチは食べるだけなので黙食で行きますが、夜の外食は完全に止めました。家で食べること自体は私はいいけど、嫁が作るのが楽しくなくなったときはデリバリーでしのいでいます。 デリバリーは便利ですけど、外食って食事だけじゃなくて店の雰囲気なども含めての価値なのでやはりデリバリーはデリバリーでしかないですね。 あ、便利なので感謝してします。
どうでもいい話ながら、最初ランチ時にお店の方に「モクショクでお願いします」と言われたときは頭の中が「??」となりました。
最近はあまり熱心にニュースも見なくなっているので、言葉自体を知らなかった。 漢字で読めば意味わかりますが「モクショク」と言葉で言われると全くわからなくて「え??」って聞き返しました。
お店の方が口に手を当てながら「モクショクでお願いします」って言われて、やっと頭の中で「モクショク」が「黙食」に変換できて「あぁ、はいはい」と理解できました。
そんなことを注意しないといけないお店の方も嫌だろうなぁと思いつつのヨタ話でした。
そんな中(どんな中?)、読んだのが宮城谷 昌光さんの「孔丘」という本。500ページくらいですかね。かなりのボリュームです。
孔丘というのは孔子のことですね。孔子は「論語」で有名な孔子ね。儒教の創始者です。昨年出た本らしいですが全然しらなくてAmazon見てたらたまたま出てきたのかな、ということで知りました。
孔子というか論語は自分ができてないだけに興味あります。要は「仁義礼智信」という儒教で基本的なことを古臭いしそんなこと意味ない、実力主義じゃーと昭和時代(要は若かりし頃)は思って儒教や論語はどちらかというと嫌いな方でした。
残念ながら歳を取れば取るほど、結局「人は人にしか従わない。」ことを悟ってしまいました。どれだけ正しいことを言っても無理なんですね。自分で腹落ちしないと納得もしてくれないし行動もしてくれない。
そんな中で「論語」は正しいことを言っているわけではなく考え方を教えてくれるんですね。それが正しとかじゃなくてそういう考え方もあるし、それはそれでいいんじゃないと思えることが多い。
で、論語の入門書とか読んで楽しいなと思っていたので、前に井波 律子さんの「完訳 論語」(岩波書店刊)を読みましたが、これはやりすぎたな。全部入っているのでわけわからんこともいっぱい入ってます。抜粋版で十分かと…。
宮城谷 昌光さんがあとがきでも書かれていたましたが、論語は本当に言葉の抜粋なので背景がほぼわからないんですよね。なので、言葉だけで至言のことは今でも残ってるんでしょうが、それでも本来の意図と違う言葉もあるんでしょう。
弟子の名前もバシバシ出てきてますが、そこらもよーわからん。と思っていたので、今回の「孔丘」を読むことで孔子が生きた時代の背景や流れがつかめるという点で個人的には大変よかった。周を理想としていたのは知っているが、生きていた魯国との関係や状況なども完全じゃないにしろ感じられたのはすっごくよかった本でした。
これでまた、「論語」を読み直したいと思いましたね。
しっかしですが、「孔丘」という本を単独ではそこまで面白くないと思います。孔子がそこまで学ぶ姿勢を持っていたというのもなぜかわかりませんし、どう学んだかといった点も特に記述ないですし、論語の内容についてもいくつかエピソードや解説はありますが、話に必要な点だけです。 また、孔子が教育者で弟子を惹きつけた様子は書かれていますが、そこまでの魅力を感じるところまではいきませんでした。
孔子自体よりは周りの弟子たちの物語と思ったほうが楽しく読めると思います。個人的には「論語」をより理解できる可能性を見出してくれた本になったかなと思って感謝です。