日々マシにはなっていますが、まだ完治せず。
ほぼ、GW半分を体調不良で潰してしまいました。
最初はもったいないな、と思いましたが、おそらく休めということなんでしょう。
また、平成から令和という元号をまたぐタイミングでずっと体調不良なのも、自分を振り返ろということでしょう。
先月、NHKのEテレ100分で名著でマルクス・アウレリウス「自省録」をやっていました。
実は、本だけ持っていて読まずに置いていた著作。
自分が自省したいと常に思って瞑想も自省もできてないので今回はいい機会でTV見ましたが、哲学者になりたいと思いつつローマ皇帝になったというすごい人が書いた日記というかメモというかまさしく自省のための記録集。
もちろん、マルクス・アウレリウスのようには考えられないし生きれません。時代も違えば立場も違う。何より考え方も違う。
しかし、大事なのは自分を振り返り考えること。
今は隙間がない時代。
スマホがないときも隙間がないと思っていました。それはテレビがあったから。いつもテレビが付いていて隙間なんてない。と思っていました。
今は、もっと隙間がない。電車でもそれこそ歩いているときでも信号待ちでもスマホで何かを見ている。Maasが整っていけば行くほどもっと隙間はなくなっていく。
隙間がなくなっていくほど、人はその間を埋めようとする。間を埋めると自分の時間がなくなる。それは自分で気づかず自分で埋めてしまっている。
自分で埋めているのに実は他人の時間になっている。
そのため、自分の時間を作ることができない。自分で振り返る時間がない。つまりは自分の時間がないということになる。
怖いのが、仕事で時間が埋められているときは人によって自分の時間がないという自覚があるが、スマホやテレビで時間を埋めているときは自分で選択して自分の時間をなくしているため、自分の時間を自分で失くしているという自覚がないこと。自分が選択しているだけにこれは恐怖。
何が恐怖かというと、自分の時間でなくなっているというのは自分で考える力がないということ。その鍛える能力を自ら捨てているということ。これをまた、自覚していないということ。この恐怖を己で感じていないということです。
その意味でも、今のままではやばいかも、と思える自省録は一つのきっかけになるかも、ということで読み出しました。
私は本を読むのは好きですが、読んで終わり。そこで考えたり、味わう時間をとってないので結局時間を奪われているだけなんじゃない、という恐怖があります。
私もそうですが、人は楽に生きる、怠惰に流れるので少しでも自省の時間は作りたい。