実は、藤原竜也が前々から評価の高かった「身毒丸」も興味を持っていました。
舞台化したら見に行くくらいの勢いでしたが、当然今はやってなくて(夏に『レインマン』の舞台を椎名桔平さんとされるよう)たまたま映画館で企画上映『蜷川幸雄シアター2「身毒丸 ファイナル」』をしていました。
これまた1週間だけの上映。これまたたまたま休みが重なった。これまた嫁も休みだった。という、”これは見に行けということだ!!”という啓示を受けたという解釈のもとなんばパークスシネマまで繰り出しました。
(なんばパークス行くなんて3年以上ぶりかなー。というくらいご無沙汰ぶり)
藤原竜也版の「身毒丸」も何度かやっているようで、その中の10代最後か二十歳くらいのときの公演が「身毒丸 ファイナル」とのことでした。
確かに、若かった。藤原竜也わっかー!
歯矯正前~。
ニキビあるー。
眉毛書いてる~。
なんてどうでもいいことばかりを見ていました。
正直内容を詳しく知らずに見に行ったこともあるんですが、最初から『うん?なんだこの怪しいパターン』と思いました。
いきなりわけわからん人々が出てくる。
あの世からスタートか?という時点で、なんか思っている内容ともかけ離れているかも。という感じで進めば進むほどよくわからない。
平日ながらも映画館人6~7割埋まっていましたが、『みんな理解できてるの?』と他人の心配するくらいわからんかった。
当然面白いとも思えず。(面白くないわけでもないんですが)
結局身毒丸(主人公=藤原竜也)と撫子(継母=白石加代子)との愛の物語でいいのか?という感想でした。
白石加代子年取らないなぁ、ということも感じつつ、最後の藤原竜也の狂気感含め、昭和の家の常識と愛を求める身毒丸と撫子それぞれが、別々の道をたどりつつ二人へと集約される世界観がたまらん人にはたまらないんだろうな、という映画でした。
(書きつつも私にはわからんかったんですが)
最後まで見終わって、嫁も全然わからんかったとのこと。
『ムサシ』が激烈に内容がわかりやすい内容だったのでそのギャップもちょいありましたね。
見終わってからの感想としては、継母を父が小屋に買いにいって、身毒丸が亡き母を思って乗り気じゃないのを無理やり選ばせ、撫子が目があったことを確かめて選んだ、というのが最初でした。
この身毒丸が最初撫子を見たときにすでに母ではなく女として意識していたんだろうな、それを自分で認められなくて(認めたくなくて)ずっと母として認めず反抗していき、撫子も扱いきれずにそこを軸に家庭が崩壊していくといった内容に感じました。
といって、女性としても認められず、それが最後の最後まで行き堕ちきって母としてなのか、女としてなのかは、理解しきれませんでしたが最後に撫子を求める。
撫子も愛を求めて終わっていく。
というやはりわからない話でした。
正直舞台じゃなくて映画で十分堪能した「身毒丸ファイナル」でしたねー。いやー、いろんな価値観を味わえる、楽しめるというのは素晴らしいです。
|
|